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首里城公園 しゅりじょうこうえん 2000/07/30 沖縄県那覇市首里金城町1
14世紀、沖縄本島は、3つの小国家が形成され、覇権争いが展開。15世紀初頭、思紹・尚巴志父子は、3つの小国家を攻略。1429年、琉球統一。拠点を首里城に移す。役目・機能 
首里城は、琉球統一以来、王国の政治の中心。中国、日本本土、朝鮮そして東南アジア諸国と貿易上で中心的役割を果たした。歴代の琉球王が即位するたびに、中国皇帝の使節団(冊封使)が琉球に派遣された。太平洋戦争で首里城は米軍の猛攻を受け炎上。1950年、沖縄を統治した米軍により、首里城跡に琉球大学が設置。1992年、復帰20周年記念事業として首里城が復元した。琉球国首里旧城の図 (高校生のための沖縄の歴史より)

守礼門(しゅれいもん) 首里城外第2の坊門。創建は尚清王1529年。「守礼之邦」の扁額が掲げてある。三間坊楼、屋根入母屋造、本瓦葺、重層。日本や中国それぞれの特徴をとり入れた沖縄独特の建築様式。

歓会門(かんかいもん) 首里城の正門。尚真王が1477年に創建された。中国風の城門。「来客を喜んで歓待する心配りに満ちている門」という意味の門

端泉門(ずいせんもん) 門の手前下に湧き出す、龍樋(別名は端泉)が名前の由来。

漏刻門(ろうこくもん) 楼内の水時計で時刻を計った。太鼓で時間を報じたことが名前の由来。

広福門(こうふくもん) 中央部が開いており、そこだけ2階建てになっている。奉神門(ほうしんもん) 正殿に至る最後の門。 「君誇御門」とも呼ばれ、正殿に対面して建っている。





木曳門(こびきもん)往時首里城内の改修工事のとき、資材の搬入口として利用される。普段は石で封じられていた。久慶門(きゅうけいもん) 「ほこり御門」とも呼ばれる。主に女官の通用門として使用された。儀礼門として冊封使、島津家の使者などの出入りにも使用された。

園比屋武御嶽(そのひやんうたき)尚真王1519年創建、中国風石門。国王が出御の時、道中の安泰を門奥の神(森)に祈願した拝所。 城内からの眺め。



首里城の歴史  1427年、首里城第1拡張工事。龍潭、安国山を築庭。 1429年、尚巴志三山統一 。1470年 、尚王位につく。  1477年、首里城第2拡張工事。歓会門、久慶門創建。 1501年、玉陵築造。1502年、円鑑池、弁財天堂創建。1508年、北殿、創建。  1528年、守礼門、創建。  1609年、島津の琉球侵入。 1621年、南殿、創建。  1660年、首里城焼失。1670年、首里城再建  1709年、首里城焼失  1712年 首里城再建 1853年 ペリー提督来琉、首里城訪問。 1879年 廃藩置県により首里城明け渡し  1925年 首里城正殿、国宝に指定される。 1933年 歓会門、端泉門、白銀門、守礼門、国宝に指定される。  1945年 沖縄戦により首里城焼失。 1958年 守礼門復元  1968年 円覚寺総門、弁財天堂復元 1972年 本土復帰  1974年 歓会門、復元竣工  1977年 玉陵、復元竣工  1984年 久慶門、復元竣工 1992年 首里城公園一部開園 中国皇帝御書扁額「中山世土」  琉球玉国時代、首里城正殿二階に中国清代の皇帝から贈られた書。扁額の大きさは厭l.47m、横3.75mで、重量は約160kg。国王専用の椅子1993年 国王の椅子が推定製作。椅子は全体に朱漆が塗られている。模様は沖縄近海で採れる夜光貝を薄く研いで用いた螺鈿づくり。冊封 琉球で国王が代わるたびに、中国皇帝は使者を遣わし、首里城で即位式をおこなわせた。この式典を冊封という。(パンフレットを参考に作成。)

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