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願船寺 がんせんじ 2009/08/18他  茨城県那珂郡東海村石神外宿1047  二十四輩 第14番 定信房。華輪山真風院願船寺。真宗大谷派。
親鸞聖人の弟子である定信坊が開基。ある時、寺の庭に16歳の聖徳太子が現れた。「稲田に親鸞という立派な僧侶がいるから弟子になりなさい」と言って姿を消した。そこで稲田を訪れ、親鸞の弟子となったと伝えられている。願船寺は浄土真宗関東二十四輩旧跡の一つ。佐竹氏の祈願所で天台宗寺院だった。境内に清浄な泉があったことから当初は「願泉寺」。徳川光圀が親鸞に感じ入り「難度の苦海には四十八の願船あり」と述べて一字を改めさせた。

親鸞が植えたといわれるイチョウがある。樹齢750年といわれる大きな銀杏(公孫樹)。江戸時代末期、水戸藩の仏教弾圧政策により、全身に火を浴び、枯れかけた。1844年徳川斉昭による「自葬祭の儀式」により、水戸領内の寺院はすべて廃止。葬式は神式に、僧侶は還俗せよというもの。願船寺の住職は抵抗した為、水戸藩の焼き討ちにあう。寺の建物はすべて炎上、銀杏も火にかかった。しかし、3年後生き返り、現在に至っている。親鸞お手植えとは、時期的に可能性があるということ。(「茨城と親鸞」今井著より)





本堂  親鸞の尊敬する、聖徳太子を信仰の対象としてきた。寺には「絹本著色聖徳太子絵伝」がある。絹本著色とは、絹の布地に彩色で描かれたもの。聖徳太子絵伝とは、聖徳太子の一生を絵で描いたものという意味。(広報とうかい2007/02/25より)



東海十二景 願船寺晩鐘(がんせんじばんしょう)  晩鐘は韻々として野面を渡り、遥か阿武隈の山波に消えて行く  ひねもす働ける者の安らぎよ、つつましき祈りよ